御祭神    

武甕槌命
(たけみかづちのみこと)
経都主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売大神(ひめおおかみ)

        

由緒沿革 
 
往時当松尾荘(又は春木荘ともいう)藤原氏族本貫を有し武烈天皇の御宇には物部氏族が今の北松尾に本貫を有していた為に稱徳天皇神護慶雲二年(西暦七六八年)鹿島神宮常陸国より大和国に御遷座の途中、武甕槌命、天児屋根命が当地に立ち寄られ、暫く停留なされたのを機会に当荘内の藤原氏が社殿を設けて春日大明神を鎮座したのがはじめである。  尚、古来には役の小角の開基による宗福寺(神宮寺)があり、空海上人が一冬を安居なされた後は、冬堂と称するようになった。 当時より当地方最も神威顕著であったため後醍醐天皇より正一位四所明神の勅額を下賜され、松尾荘内の総氏神、産業隆昌の神としてのみならず、当地鎮護の神として早害疫災に際し ては厄除疫病平癒を祈願し国守、住民の崇敬の中心神社として今日に至っている。 但し往時の宏壮な社殿神宮寺の伽藍、金堂、宝塔、古文書、宝物など多くは天正の兵火に罹り之を失ったが、 寛文十一年、享保一七年、宝暦二年、文化八年、天保十五年、明治二十六年、昭和二十九年、平成十一年と度々立替、葺替を行った。 明治四十二年八月には神饌幣帛供進社に指定され、昭和四十五年四月には御遷座千二百年祭が斎行された。   また摂社に戎神社、末社に九頭神神社がある。   

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